月夜見命が祀られている理由
月夜見山荘がある西之宮集落の十二神社(ジュウニジンジャ)に祀られている「月夜見命(ツクヨミノミコト)」は、月や暦の神様です。天照大神(アマテラスオオミカミ)と、須佐之男命(スサノオノミコト)と兄弟でありながら、古事記や日本書記にもほとんど出てこず、知る人ぞ知る神様。
そんなこともあり、月夜見命が祀られている神社は全国的にも珍しいそうです。
そんな珍しい神社がなぜここにあるのか? それには、「望月姓」が関係しているのではと考えています。
早川町民の4割を占める望月姓
元々は長野の望月村(現佐久市)に住んでいた望月さんが、鎌倉時代や戦国時代に訳あって村を出て、富士川流域に住み着いたとされていて(諸説あり)、早川流域で最初に住み着いたのが、ここ黒桂・西之宮集落といわれています。
そんな望月さんが、故郷の望月村で大切にしていたのが「大伴(オオトモ)神社」。そこに祀られているのが、実は月夜見命なのです。望月=満月という意味ですから月の神様を信仰したのもうなずけます。
故郷・望月村を出て、黒桂(つづら)集落・西之宮集落を新しい住処に決めた望月さんが、月がよく見える高台の十二神社に、自分たちの神様である月夜見命を祀ったのではないかと想像しています。
月と桂の切っても切れない関係
では、なぜ望月さんは、早川にあまたある集落の中で、黒桂に住もうと決めたのか? あくまで私の空想ですが、その決め手の一つとして「桂」が関係しているではと想像しています。
月には「桂」が生えていたという古代神話が中国にあります。「月には大きな桂の木が生えていて、男が伐り倒そうとするが、伐っても伐っても伐り口が再生して切り倒せなかった」というものですが、この話は日本にも古くから入ってきていて、万葉集などにも月と桂をセットにした歌が詠まれています。
そう言われると、料理にも使うローリエを「月桂樹」と訳したり、京都にある桂離宮は観月の場所であったり、月と桂は何かとセットになっています。
当然、望月さんもこの伝説を知っていて、住む場所を探しながら早川流域を巡っているときに、黒桂という地名にピンときたのではないでしょうか。
また、桂は土砂の押し出しなどがあった場所にいち早く生える木なのですが、この黒桂、西之宮に何本も沢があり大雨が降ると土砂が流れ出やすい場所なので、もしかしたら当時は桂が実際に生えていたのかもしれません。
いずれにせよ、望月さんが安住の地を決める際、桂の字がついた地名や、生えていたかもしれない桂の木を見て「ここは月に縁のある場所だ。自分たちが住む場所なのだ」と考え、決断を後押しする大きな材料となったのではないかと想像しています。
今も息づく望月さんの想い
そういえば、「早川町の木」は桂です。桂が特別多く生えているわけでもないですし、他にも選ばれても良さそうな木がたくさんある中で、なぜなのか。ここにも望月さんの桂への思いが映し出されているような気がしました。
また近くにある「西之宮のサイカチ」。町の文化財にもなっているこの木は、望月さんたちが黒桂に移り住んだ際に植えたものだそう。新しい故郷を守るため、サイカチ=災勝(災いに勝つ)との願いを込めて、根元にはお経も一緒に埋めたそうです。
早川に移り住んだ望月さんたちの想いが、今もこの町のあちこちに息づいているのですね。